裏ブログ:京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子

公式ブログと異なり、マリコの赤裸々な話を載せています。

旅っていうのは帰るところがあって初めて旅になる

 

旅が好きって言う人多いと思う。

お休みが取れたら旅行に行く、とか臨時収入があったら旅行に行く、など。

きっと人はそこに非日常やロマンを求めるのだと思う。

だけど、旅がロマンチックなのは帰るところがあるから。

帰るところを持たずただ旅し続けるのは放浪だ。

帰るところなく彷徨い歩き続けるのはもはやロマンではなく虚しさしかない。

日々変わりゆく景色、特定の場所を持たず、その時々の人間関係だけ。

何物にもとらわれない自由さはあるけど、それは常に孤独と隣り合わせだと思う。

帰るところがあるからこそ旅は旅たりえる。

 

これはヴェロッキオ「ラファエロとトビアス

ロンドンナショナルギャラリー至宝の1つだけど、もともとフィレンツェで制作された。

中世〜ルネサンスフィレンツェは商人の街。子供の頃に外国の支店に修行にだされることも多かった。昔の旅は今と違って危ない。子供の無事を祈って天使が守ってくれるように、この画題が人気だった。

大天使ラファエルは特定の人ではなく色んな人に姿形を変えてきっと守ってくれている。

出会う人それぞれに大天使を見出せられれば彷徨うだけの旅も少しは虚しく無くなるのかもしれない。

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ドラゴンを飼うお姫様 パオロ・ウッチェッロ「聖ゲオルギウスとドラゴン」に因んで

大事なことだから書いておく。

 

私の中には男が一人の女を愛し続けるということが全く信じられない自分がいる。

だから恋は多くても長続きしなかった。

うまく行き始めると、遠恋になったり急に連絡が途絶えたり、なにかありえないことが起きて会えなくなることが続いていた。

またいつかいなくなるんじゃないか?

いつまで私のこと好きでいてくれるんだろう。

いつもそんな不安に苛まされていて、それが現実になるという嬉しくない結果になった。

 

しかし今日気がついた。

実は愛が続かないのは自分の方じゃないか?

私が一人の人を愛し続けることができるという保証を持てない。

あるいはある日突然いなくなってしまうかもしれない。

だから、私は一人の男を愛し続けることができない。

それが怖いから、自分自身が永遠の愛を誓える自信がないのが怖かったんじゃないかと。

男に見ていた不安はそっくりそのまま自分に対しての不安だったのだ。

 

私は何かに固執することができない。

ある日またふと海外とか行っていなくなってしまうかもしれない。

だったらその人を愛し続けられない。

それが不安だったから、自分から無意識にうまくいかないように持っていってたのかもしれない。

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ウッチェッロの聖ゲオルギウス。

竜に捕らえられたお姫様を助けるのだけど、この姫を見ると実は竜を繋いでるのはお姫様。

実は人は誰でも自分で自分のことを縛ってるのかもしれない。

 

いま私自身に言ってあげたいのは、愛に縛られる必要はない、ということ。

変わらぬ愛なんてない。ずっと続いているカップルだって愛の形は変容している。

大事なのはその時に好きかどうか。

人は自分の心ですら自分の思う通りにするこたはできない。

どうなるかわからない将来を不安がるより、今の自分の心に従うこと。

将来どうなったとしても、自分は自分の最大の味方だから、絶対に自分が自分を困らせることはない、と信じておく。

 

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寝てる間にテセウスに置いていかれたアリアドネはその後バッカスに見染められ、天の女王になる。

人間、あした何が起きるかわからない。いいことも、そうでないことも。だから今日をくよくよしても仕方ない。

 

・パオロ・ウッチェッロ「聖ゲオルギウスとドラゴン」1470年 ロンドンナショナルギャラリー蔵

ティツィアーノバッカスアリアドネ」1520年 ロンドンナショナルギャラリー蔵

 

ビジネス成功のコツ1 客の立場に立ってみる

サービス大国と言われる日本だが、ときおり非人間的に感じる時がある。マニュアルは一つの指針であってそれが全てではない。サービスとはいえ、そこには人と人のコミュニケーションがあるべきである。

ただ言われたことをこなしているだけだったら、なんでこのお仕事をしてるのか、もう一度考えて欲しい。

そこに実はビジネスチャンスがあるかもしれない。

 

1. 客の立場に立ってみる

客の言うことを100%聞かなくていいが、客の立場に立って考えてみるのが大事。

ただいわれた通りにやるのではなく、なんでやるのか、どうされたら自分が嬉しいのか、そういうことを少し考えるだけで、商品(サービス)は変わり、リピーターが生まれる。

 

2. そのサービス、自分に対してもしますか?

客はマニュアル通りのサービスが欲しい訳ではない。

マニュアルなんて極端言えばいらない。

誠心誠意で対応すればいい。平身低頭ではない。

マニュアル通りにするサービス、それって自分に対しても同じことするか?

自分がして欲しいことは何か?

それを考えられる人が、人より頭一つ抜きん出るのである。

ライバルがなぜ勝てるのか?

文句をつける前に、自分の行動を見てほしい。

売り上げ数字のためにやるサービスには人は寄り付かない。

 

3. なんのために仕事してるの?

お金のためだけに人は仕事するのではない。

もちろんそれは重要な要素だ。

でも、あなたの仕事はなぜ存在するのか?

あなたはなぜ仕事するのか?

ただ言われたことだけをやります、と言う人には発展がない。

発展かない限り、昇給もない。

自分をどんな時にもより磨くこと。

それを心がけていると自ずと給料は上がっていく。

給料が安いと思ったらもう一度考えて欲しい。あなたは何のためにに働くのか?あなたの仕事は何のために存在するのか?

顧客の成長のため、自分の成長のため、仕事は存在するのではないか?

 

4. 新プラトン主義の哲学

 新プラトン主義では人は洗練されていない粗雑な存在として生まれる。

しかし、人生の中でいろいろなことを学び成長していく中で人間としてより洗練されていく。

そして最終的には天に近づいていく、と考えた。

 

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フィレンツェのドゥオモの北側にルネサンス最大のパトロンであったメディチ家の宮殿がある。

メディチ家は新プラトンアカデミーを設立したことでも知られる。彼ら無しにはルネサンスが育つことはなかった。

 

この宮殿はその哲学を表している。 

建物の一番下の段は石が大きくゴツゴツしている。まだ洗練される前の人間。

真ん中はだいぶスムーズな石の置き方。いろんなことを学んだら人間として成長して洗練される。それを石の磨き方で表したのだ。

一番上は物理的にも天に近い世界。研鑽して、より神に近づくのが新プラトン主義の目指すところ。

 

会社に、上司に、仕事に、客に、文句を言いたくなる日もある。

しかし、ただ「愚痴」を言うだけだったら考えて欲しい。

あなたは何のために働いているのか?

より自分を、相手を、会社を、そして社会を良くしていく…その考えを持って仕事に取り組めば今まで見えなかったことが見えてくるかもしれない。

 

なんとなくサンタ・トリニタ教会を紹介@フィレンツェ

 

全ては恵まれているけれど…明日は明日の風が吹く

イタリアから帰国して今日でちょうど1ヶ月。

就職活動も驚くほど順調に進み、今日から出社した。

前職と全く同じ、というわけでではないけれど、結局、一度足を洗ったつもりだった業界に戻った。

3年のブランクがあるにも関わらず、昔取った杵柄というのだろうか、しっかり勘は失っていなかった。嬉しいような、決死の思いで足を洗ったつもりだったのに覚えていることが悲しいような、なんとも言えないフクザツな気持ち。

 

仕事があって、よいお給料をいただいて、仲間にも感謝され、歓迎され、つい1ヶ月前までは想像もつかなかった状況。そして、自分が望んだ世界でもある。

ガイドの仕事なんかよりよっぽどやりがいを感じられる。

しかし、私の心は死んだ状態なのだ。

 

生きる希望も、夢も、目標も、何も持てない。

朝起きて、会社に行って、それなりに仕事して、夜なんとなく定食屋でご飯食べて、一体私は何のために生きてるのか?生きてる意味がやっぱり見当たらない。

自立した女性も、女友達との豪華なディナーも、私にとっては虚しい以外の何物でもない。

結局シェアする人がいなければ、私にとって世界は色褪せてしか見えない。

 

贅沢過ぎる悩みではあるけれど、手に入れても手に入れても、本当に欲しいものを手に入れない限り、この空白は埋まらない。

 

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眠れるアリアドネ。尽くした夫に放置されたと思いきや、ワインの神バッカスに魅入られ妻になった。人生、最悪と思っても一寸先には何があるかわからない。

 

今は絶望しても明日はまた違う日。

“After all, tomorrow is another day.” From “Gone with the WindScarlett O’Hara

明日は明日の風が吹くスカーレット・オハラ最後のセリフ「風とともに去りぬ」より

恋をするのは自分を知るための行為に他ならない

恋とは自分自身を発見する行為に過ぎないのだと思う。

 
人は恋をする時、相手を見ているようで、相手の中にある自分自身を見ているのだ。
 
相手を通して自分を知る…
相手に強烈に惹かれる時は相手の中に自分の半身があるのだ。
たとえどんな結果になったとしても、恋をしているその瞬間は運命の相手、なんだと思う。
 
そして自分の知らなかった自分を知ることでもある。
 
自分の弱さ
甘えたがりの自分
嫉妬深さ
いつもより美しくなったり
強くなったり
泣いたり
笑ったり
 
そんな普段知らない自分、フタをして見たくない自分と出会うのも恋。
 
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自分よりもっと大きな意思に任せることの大事さ

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ヨガの練習をするといつも気づきがある。

写真はブルガリアでヨガリトリートした時のもの。2016年8月。

 

私にとってヨガの練習って自分との対話。

自分の体を知るための行為。

 

朝の練習は目を覚ますため、な気がする。

に対して夜に練習すると何か「ひらめき」のような「気づき」のようなものがある。

 

今回のはすごく大きかった。最後のシャヴァーサナ。

寝転がって気づいたのが

あ、心臓って私の意思で動かしてるんじゃない!

ってこと。

 

あれもしなきゃ、これもしなきゃと焦ったり、

私が何かしなきゃ、と必死になったり、

何かしないとどうにかなる、と思ったり、

人はすごく一所懸命がんばる。

 

それもとても大事なんだけど、

私たちは大きな意思の前には無力だ

と思った。

 

自分の力でなんでもできるって思ってるけど、私たちは心臓を自分の意思で動かしたり止めたりすることすらできない。自分の体、自分の心臓なのに。

だから自分で何かしようとするのは、どれほど傲慢なことかと思う。

 

心臓が何も私が意識することなく動いて私を生かしてくれているように、きっと大きな意思も上で勝手に何かをしてくれている。

それは私の目には見えないかもしれないけど、確実に動いているのである。だから、自分ができることをしたら、あとはそういう大きいものに任せる。

 

私たちができることってどれほどあるのだろう。

雨を降らせることも川の水を止めることもできない。

作物だって、育てることはできても、作物を作ることはできない。

 

自分がやってるんじゃなくて、全て大きな力なんやなぁ、と感じた今日のヨガの自主練。