ビジネス成功のコツ1 客の立場に立ってみる
サービス大国と言われる日本だが、ときおり非人間的に感じる時がある。マニュアルは一つの指針であってそれが全てではない。サービスとはいえ、そこには人と人のコミュニケーションがあるべきである。
ただ言われたことをこなしているだけだったら、なんでこのお仕事をしてるのか、もう一度考えて欲しい。
そこに実はビジネスチャンスがあるかもしれない。
1. 客の立場に立ってみる
客の言うことを100%聞かなくていいが、客の立場に立って考えてみるのが大事。
ただいわれた通りにやるのではなく、なんでやるのか、どうされたら自分が嬉しいのか、そういうことを少し考えるだけで、商品(サービス)は変わり、リピーターが生まれる。
2. そのサービス、自分に対してもしますか?
客はマニュアル通りのサービスが欲しい訳ではない。
マニュアルなんて極端言えばいらない。
誠心誠意で対応すればいい。平身低頭ではない。
マニュアル通りにするサービス、それって自分に対しても同じことするか?
自分がして欲しいことは何か?
それを考えられる人が、人より頭一つ抜きん出るのである。
ライバルがなぜ勝てるのか?
文句をつける前に、自分の行動を見てほしい。
売り上げ数字のためにやるサービスには人は寄り付かない。
3. なんのために仕事してるの?
お金のためだけに人は仕事するのではない。
もちろんそれは重要な要素だ。
でも、あなたの仕事はなぜ存在するのか?
あなたはなぜ仕事するのか?
ただ言われたことだけをやります、と言う人には発展がない。
発展かない限り、昇給もない。
自分をどんな時にもより磨くこと。
それを心がけていると自ずと給料は上がっていく。
給料が安いと思ったらもう一度考えて欲しい。あなたは何のためにに働くのか?あなたの仕事は何のために存在するのか?
顧客の成長のため、自分の成長のため、仕事は存在するのではないか?
4. 新プラトン主義の哲学
新プラトン主義では人は洗練されていない粗雑な存在として生まれる。
しかし、人生の中でいろいろなことを学び成長していく中で人間としてより洗練されていく。
そして最終的には天に近づいていく、と考えた。
フィレンツェのドゥオモの北側にルネサンス最大のパトロンであったメディチ家の宮殿がある。
メディチ家は新プラトンアカデミーを設立したことでも知られる。彼ら無しにはルネサンスが育つことはなかった。
この宮殿はその哲学を表している。
建物の一番下の段は石が大きくゴツゴツしている。まだ洗練される前の人間。
真ん中はだいぶスムーズな石の置き方。いろんなことを学んだら人間として成長して洗練される。それを石の磨き方で表したのだ。
一番上は物理的にも天に近い世界。研鑽して、より神に近づくのが新プラトン主義の目指すところ。
会社に、上司に、仕事に、客に、文句を言いたくなる日もある。
しかし、ただ「愚痴」を言うだけだったら考えて欲しい。
あなたは何のために働いているのか?
より自分を、相手を、会社を、そして社会を良くしていく…その考えを持って仕事に取り組めば今まで見えなかったことが見えてくるかもしれない。
なんとなくサンタ・トリニタ教会を紹介@フィレンツェ
なんとなく #フィレンツェ サンタ・トリニタ教会の紹介。
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
ここはクリプタと呼ばれる地下礼拝室。通常は聖人の遺骨などが安置されるが、ここは元々の #ロマネスク 様式を残した教会の最初の姿と考えられている。50セント入れて電気つけないと真っ暗。 pic.twitter.com/aA2wAHXJcO
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き。多分ネリ・ディ・ビッチ。3代続く画家の家系でロレンツォ・ディ・ビッチ、ビッチ・ディ・ロレンツォ、3代目がネリ。同じ頃に #ボッティチェリ 等活躍してたけど、この人は中世ゴシックを引き継いだからこそ旧世代に逆に需要があった。 pic.twitter.com/F50HSvKkS8
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き。スピネッロ・アレティーニは #ゴシック 時代にアレッツォで活躍。フィレンツェではサンタ・クローチェ教会の聖具室に大作が残る。ピエロ・デッラ・フランチェスカにも大きな影響を与えたと思うと感慨深い。 pic.twitter.com/wXIuVQtFvX
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
サセッティ礼拝堂 ドメニコ・ギルランダイオ 一番上はサセッティ家と縁が深い #メディチ家 の息子達。先頭は家庭教師のポリツィアーノ。後ろはシニョーリア広場。真ん中は15世紀のサンタ・トリニタ広場。いまは #フェラガモ 本店がある。 pic.twitter.com/Af6ZhZq0Lh
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
確かジョバンニ・ダル・ポンテの聖バルトロメイの殉教。 pic.twitter.com/c9FRUBEvhl
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
この教会の創設者でありヴァロンブローザ派創設者のグアルベルトの聖遺骨が安置されている。建築は17世紀活躍のカッチーニ、フレスコ画は対抗宗教改革時に活躍のパッシニャーノ。 pic.twitter.com/7IPPrgcEji
#フィレンツサンタ・トリニタ教会続き#ルネサンス #テラコッタ 巨匠のルーカ・デッラ・ロッビアの手による墓。フレームのデザインはまるで20世紀初頭の #ティファニー にも通じるかのようなデザイン。15世紀フィレンツェのセンスがうかがえる。 pic.twitter.com/OY7eF0oHS6
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会 ルーカ・デッラ・ロッビア続き#テラコッタ 女子ならキュン❤️となりませんか?お墓がこんな風に装飾されているとイメージが変わる。元々近くの教会にあったのが移動されたよう。元の教会はいまはマリーノ・マリーニ美術館。 pic.twitter.com/syOyYBHLRo
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
聖グアルベルトはこんな感じ。 pic.twitter.com/uKLaPKqgAY
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会続き
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
エンポリの #受胎告知
多分いまはストロッツィ宮殿で開催中の展覧会に出展中。ちなみに全く同じコピー作品が #フィエーゾレ のサン・ドメニコ教会にある。ただし同じ画家の手による。久しぶりのマニアぶり発揮。 pic.twitter.com/0ptrzbDiwA
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
元々 #ロマネスク 様式だった名残が残る。下の方に残るお墓はメメントモリを思い起こさせる。 pic.twitter.com/W692Mzaf1r
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
こちら側は #ゴシック 様式。観光地だけどいまも敬虔な信者さん達がお祈りを捧げる。祈りの場であることを忘れずに鑑賞したい。 pic.twitter.com/fBCH7ViXcS
#フィレンツェ サンタ・トリニタ教会 #ファサード は#マニエリスム ブオンタレンティの設計。柱頭の天使とかいかにもマニエリスム。ロマネスク、ゴシックと3スタイルが共存。 #フェラガモ に見とれて見逃さないで欲しいな❤️でもフェラガモも好き😆フェラガモミュージアムもオススメ。 pic.twitter.com/K1mV15gUdG
— 京大卒フィレンツェ公認ガイド 加藤まり子 (@mariko77kato) 2017年12月27日
全ては恵まれているけれど…明日は明日の風が吹く
イタリアから帰国して今日でちょうど1ヶ月。
就職活動も驚くほど順調に進み、今日から出社した。
前職と全く同じ、というわけでではないけれど、結局、一度足を洗ったつもりだった業界に戻った。
3年のブランクがあるにも関わらず、昔取った杵柄というのだろうか、しっかり勘は失っていなかった。嬉しいような、決死の思いで足を洗ったつもりだったのに覚えていることが悲しいような、なんとも言えないフクザツな気持ち。
仕事があって、よいお給料をいただいて、仲間にも感謝され、歓迎され、つい1ヶ月前までは想像もつかなかった状況。そして、自分が望んだ世界でもある。
ガイドの仕事なんかよりよっぽどやりがいを感じられる。
しかし、私の心は死んだ状態なのだ。
生きる希望も、夢も、目標も、何も持てない。
朝起きて、会社に行って、それなりに仕事して、夜なんとなく定食屋でご飯食べて、一体私は何のために生きてるのか?生きてる意味がやっぱり見当たらない。
自立した女性も、女友達との豪華なディナーも、私にとっては虚しい以外の何物でもない。
結局シェアする人がいなければ、私にとって世界は色褪せてしか見えない。
贅沢過ぎる悩みではあるけれど、手に入れても手に入れても、本当に欲しいものを手に入れない限り、この空白は埋まらない。
眠れるアリアドネ。尽くした夫に放置されたと思いきや、ワインの神バッカスに魅入られ妻になった。人生、最悪と思っても一寸先には何があるかわからない。
今は絶望しても明日はまた違う日。
“After all, tomorrow is another day.” From “Gone with the Wind” Scarlett O’Hara
「明日は明日の風が吹く」スカーレット・オハラ最後のセリフ「風とともに去りぬ」より
自分よりもっと大きな意思に任せることの大事さ
ヨガの練習をするといつも気づきがある。
写真はブルガリアでヨガリトリートした時のもの。2016年8月。
私にとってヨガの練習って自分との対話。
自分の体を知るための行為。
朝の練習は目を覚ますため、な気がする。
に対して夜に練習すると何か「ひらめき」のような「気づき」のようなものがある。
今回のはすごく大きかった。最後のシャヴァーサナ。
寝転がって気づいたのが
あ、心臓って私の意思で動かしてるんじゃない!
ってこと。
あれもしなきゃ、これもしなきゃと焦ったり、
私が何かしなきゃ、と必死になったり、
何かしないとどうにかなる、と思ったり、
人はすごく一所懸命がんばる。
それもとても大事なんだけど、
私たちは大きな意思の前には無力だ
と思った。
自分の力でなんでもできるって思ってるけど、私たちは心臓を自分の意思で動かしたり止めたりすることすらできない。自分の体、自分の心臓なのに。
だから自分で何かしようとするのは、どれほど傲慢なことかと思う。
心臓が何も私が意識することなく動いて私を生かしてくれているように、きっと大きな意思も上で勝手に何かをしてくれている。
それは私の目には見えないかもしれないけど、確実に動いているのである。だから、自分ができることをしたら、あとはそういう大きいものに任せる。
私たちができることってどれほどあるのだろう。
雨を降らせることも川の水を止めることもできない。
作物だって、育てることはできても、作物を作ることはできない。
自分がやってるんじゃなくて、全て大きな力なんやなぁ、と感じた今日のヨガの自主練。
価値の話、続き。人間の価値って何で決まるのか?
昨日こんな記事を書いた。
短く言うと
- 人は自分の本来の価値というよりどれだけ価値があると思うかに支払う。
- 自分の価値を見積もってそれを伝える。
というお話。特に私は2点目が大変苦手。
元はこちらの動画。
Know your worth, and then ask for it | Casey Brown
タイトルもズバリ
「あなたの価値を知ってそれを請求しなさい」
というもの。
出る杭は打たれるじゃないけど、こと自己主張したり、自分ができることを主張すると妬まれる。
そして親も含め、周りは自分の価値をダウングレードすることばかり言わないか?
価値を外の要素で判断してないか?
身近な人ですらそうだ。せめて自分の身内は外の価値ではなくその人自身の価値を見てもらいたいと思う。
あなたの価値はあなたの外の要素ではない
30歳になったときやっと大人になった気がしてすごく嬉しかった。
しかし母親は「姥桜」と言って嘆き悲しんだ。(注:21世紀の話です)
お見合いを必死にセッティングし、私が断ろうとすると
「あんたみたいに三十路を過ぎて高学歴で外国育ちで片親の人でもええって相手は言ってくれてはるのに、何があかんの!」
とえらい剣幕で怒られた。
彼女にとって人間(女性)の価値は
- 年齢
- 性別
- 学歴
などで決まったのである。いわゆる社会が決める価値、であり「加藤まり子」という個人に対しての価値ではない。
それが、自分の子供に対してでも、なのである。
なので、私は一所懸命その「価値」に応えるように自分をあわせていった。
当時の私。
一所懸命「年相応」にしようとしていた。年相応=姥桜、である。
9年後(2017年)
一概に比較ができるものじゃないけれども
「姥桜」
の呪縛から解放されたらこんな感じになった。
人間の価値は
- 年齢
- 性別
- 外見
- 年収
私は私になること以外何かになる必要はないのだ。「デミアン」ヘルマン・ヘッセ
- 作者: ヘッセ,高橋健二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1951/12/04
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 322回
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自分の価値をどれだけ伝えられるか TED
Know your worth, and then ask for it | Casey Brown
"People don't pay you for what you worth, but pay you for what they think you worth"
時たま見るがTEDは面白いスピーチが多い。
Casey Brownはプライシング・コンサルタント。商品の価格を決める為のコンサルだ。しかしある日彼女はあることに気がつく。
自分自身の適切な価格設定
である。
そして自分の価格が低いことに気づく。
しかし単価をあげて他の人に払ってもらえなくなったらどうしよう・・・
プロの彼女でもそんな不安が出たらしい。
しかし実際に単価を上げたが皆払ってくれた。しかも彼女だけでなく彼女のクライアントたちにも同じことが起きている。
単価はだれが決めるのか?
彼女のスピーチで大事だったこと。それは
「人はあなたの実際の価値ではなく、どれだけ価値があると思うかに対して支払う」
というもの。
そしてどれだけ価値があると思わせるかは
- 自分の価値を設定し
- それを相手に伝える
ことによって可能だ、というのだ。
謙譲は美徳である。しかし卑屈になるのは謙譲ではなく一種傲慢であると思うのだ。
自分の価値を、他者の価値を評価するのと同じ目線で評価する。
そしてそれを、他者の価値を伝えるのと同じように伝える。
それが本当に他者と自分を同等に扱う、ということではないだろうか?