ドラゴンを飼うお姫様 パオロ・ウッチェッロ「聖ゲオルギウスとドラゴン」に因んで
大事なことだから書いておく。
私の中には男が一人の女を愛し続けるということが全く信じられない自分がいる。
だから恋は多くても長続きしなかった。
うまく行き始めると、遠恋になったり急に連絡が途絶えたり、なにかありえないことが起きて会えなくなることが続いていた。
またいつかいなくなるんじゃないか?
いつまで私のこと好きでいてくれるんだろう。
いつもそんな不安に苛まされていて、それが現実になるという嬉しくない結果になった。
しかし今日気がついた。
実は愛が続かないのは自分の方じゃないか?
私が一人の人を愛し続けることができるという保証を持てない。
あるいはある日突然いなくなってしまうかもしれない。
だから、私は一人の男を愛し続けることができない。
それが怖いから、自分自身が永遠の愛を誓える自信がないのが怖かったんじゃないかと。
男に見ていた不安はそっくりそのまま自分に対しての不安だったのだ。
私は何かに固執することができない。
ある日またふと海外とか行っていなくなってしまうかもしれない。
だったらその人を愛し続けられない。
それが不安だったから、自分から無意識にうまくいかないように持っていってたのかもしれない。
ウッチェッロの聖ゲオルギウス。
竜に捕らえられたお姫様を助けるのだけど、この姫を見ると実は竜を繋いでるのはお姫様。
実は人は誰でも自分で自分のことを縛ってるのかもしれない。
いま私自身に言ってあげたいのは、愛に縛られる必要はない、ということ。
変わらぬ愛なんてない。ずっと続いているカップルだって愛の形は変容している。
大事なのはその時に好きかどうか。
人は自分の心ですら自分の思う通りにするこたはできない。
どうなるかわからない将来を不安がるより、今の自分の心に従うこと。
将来どうなったとしても、自分は自分の最大の味方だから、絶対に自分が自分を困らせることはない、と信じておく。
寝てる間にテセウスに置いていかれたアリアドネはその後バッカスに見染められ、天の女王になる。
人間、あした何が起きるかわからない。いいことも、そうでないことも。だから今日をくよくよしても仕方ない。
・パオロ・ウッチェッロ「聖ゲオルギウスとドラゴン」1470年 ロンドンナショナルギャラリー蔵
・ティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」1520年 ロンドンナショナルギャラリー蔵